ナビゲーションスキップメニュー
現在の位置:ホーム > 子育て・教育 > 生涯学習 > ひらかわ市民新聞(地域)

ひらかわ市民新聞(地域)

ひらかわ市民新聞

(注)ひらかわ市民新聞の記事は、「市民記者養成講座」受講生が平川市民記者として取材・作成したものです。

ひと 景観 地域 湯めぐり グルメ もの・こと

 

街を彩る花壇コンクール

2018年11月15日

 

 平川市では地域や学校での環境美化への取り組みを推進するため、毎年花壇コンクールを開催している。参加団体は6月下旬までに申し込み、審査は平賀公民館長などで構成される5人の審査員が行い、8月に賞が決定される。

 今年は22チームの申し込みがあり、『新屋町環境保全会』の花壇が最優秀賞を獲得した。

 旧県道13号線沿いの尾上駅近くにある400平方メートルの広さの花壇には花で大きな虹が描かれており、足を止めて写真撮影する人が多いという。

 

花植え 後期

 花壇のデザインを担当したのは代表の山口金彦さん。花植えは会員10人で約2日かけて作業した。花壇の面積が応募団体最大のため、花を植えるまでの下描きに最も苦労したと振り返る。

 山口さんは、「大人数で花を植え、管理することで会員同士の会話が増え、地域の交流が活性化した」と話す。また、花壇見物客と会話や交流が生まれたほか、以前はゴミを捨てられていることが多かったが、花壇を作ってからはほとんどなくなったという。山口さんは「きれいなところにゴミを捨てる人はいないでしょう?」と笑顔を見せる。

花壇 完成

 街中の花壇に足を止め、目を向けてみてはいかがだろうか。参加したい方は、近くの参加団体に問い合わせてみては。

 

(記:市民記者 今井由美子)

 

平賀駅の地下にあったスーパーマーケット

2018年11月15日

 

 弘南鉄道弘南線・平賀駅にはかつて、地下にあるスーパーマーケットが存在していた。1962(昭和37)年に弘南鉄道が開業35周年を記念し、平賀駅を新しく改築した際に作られたという。

 完成当初の広さは198㎡(60坪)。食品・日用品・電化製品・化粧品などの生活必需品の売り場と、理容院があった。開業の翌年1963(昭和38)年には、利用率の増加や「商品の種類を増やしてほしい」といった利用客の要望に応えて拡張工事を実施。さらにその1年後には330㎡(100坪)の拡張工事を再び行い、総店舗面積はバスケットボールコート2面ほどの広さの759㎡(230坪)とした。当初から3.8倍もの広さとなったことになる。

店内の様子(「組合だより」S38.9.20)

 

賑やかだった当時の様子

 平賀農協が発行していた当時の「組合だより」によると、「農協ストアー拡張工事進む」の見出しとともに、拡張後の配列予定図が掲載され、美容室や食堂も新たに設けられることを紹介している。また、拡張後の賑わう写真や、「増築開店大売出し特価品御案内」と題し、衣料品・食料品・缶詰類・お菓子・日用雑貨などの商品が紹介されていたり、「冬物入荷」といった季節物の案内があったりし、当時の様子が伝わってくる。

店内の配列図

店内の配列図(「組合だより」S38.6.15)

 

 平賀地域出身で利用した事がある50代主婦は「その当時の交通や買物事情を考えると、地下にスーパーマーケットがあったのは斬新だった」と振り返る。平賀駅の近くに住む50代女性は「ラーメンがおいしかった。鮮魚店の活気があり、新鮮だったのを憶えている」と話す。

今も残る痕跡

 そんな地下スーパーマーケットだが、32年前の1986(昭和61)年に、現在の平賀駅にするための新築工事にともなって閉鎖。24年間にわたり「ストアー」や「駅の穴」と呼ばれて親しまれた地下のスーパーマーケットはその歴史を閉じた。

 現在の平賀駅には、当時の痕跡が少しだけ存在する。駅正面にある郵便ポストの周りだけが、ほかの所と床のタイルの色が違っている。その場所が、地下への出入口だったという。四半世紀にもわたって農協組合員や地域住民に親しまれた地下のスーパーマーケットの痕跡が、駅の利用者たちを現在も見守ってくれている。

出入り口だった場所

地下スーパーマーケットの出入口だった場所

 

(記:市民記者 松田公平)

 

小国地区と弘前大学の交流とつながり

2018年2月1日

 

 平賀地域小国(おぐに)地区では、夏の宵宮に弘前大学の学生を招待し、交流の場を設けている。招待を受ける学生は、同大学の「へき地教育研究会Clover」(以下、へき研)のサークルメンバーとなる。

 へき研は現在38人のメンバーで構成され、主に生徒数の少ない学校のイベントに参加・協力といった活動を主にしている。小国地区とは10年以上に渡って関係が続いており、現在は小国地区の宵宮で子どもたちと肝試しやスイカ割りなどをして交流を深めている。

 このつながりのきっかけは、平川市が実施している「コミュニティ助成事業」である。同事業は市の補助金を活用して地域の活性化を図ることを目的にしているが、大学生を招待するといった活用法は市内でも小国地区のみ。当初は、小国小学校で寸劇を行うといった活動もあったという。

 現在、小国小学校は廃校となっているが、それでも交流が途切れることはなかったことから、へき研と小国地区の絆の深さが感じられる。へき研代表の三浦良さんは「小国地区との交流を通して教育実習では感じることができないような子どもたちの素直な一面や貴重な経験を得ています」と話す。

 小国地区の子どもたちにとっても地域外の若者と交流できることは、新たな価値観を得られるきっかけの一つになっているのではないだろうか。

 

(記:市民記者 齋藤舜也)

 

猿賀神社観月祭

2018年2月1日

 

 2017年の猿賀神社十五夜大祭は10月3日から5日までの3日間開催された。観月祭は4日の19時から小雨が降る中で行われ、鏡ヶ池のほとりの高浜虚子の句碑の横に祭壇が設営された。神職の太鼓、龍笛(りゅうてき)の演奏を聴いているとまもなく雲の合間から、中秋の名月が姿を現す。月に向かって神職の祝詞(のりと)の後、近隣から集まってきた人々が参拝。参拝者はお供えのお団子(麦まんじゅう)を1個ずつもらった。この年は150個が準備され、祭の後には全部なくなったそうだ。

 

観月祭の様子

 観月祭の後に、拝殿に向かって大幟(おおのぼり)の奉納行列が行われたが、今年は短かった。同神社の宮司・山谷敬さんによると、「以前は北海道の崇敬者一行による昆布の御幣、スルメで作った神輿(みこし)の奉納や近郷の大幟奉納行列の賑やかな時代もあったけれども近年は少なくなった。近年は楽しみごとが日常的にあり、交通の利便さにより、いつでも参拝できるようになったこともあり、大祭に対する関心が薄くなってきているようだ。専業農家も少なくなったことにより『神様の恵みの稔り』という気持ちが薄らいできているのではないだろうか。昭和30年代は近隣住宅が臨時民宿となったり、境内にサーカスや見世物小屋が建ったり、小学校は宵宮の午後から一日半休校になったので、皆ワクワクしながら大祭を心待ちにしたものだった」と話していた。

 

(記:市民記者 大川けい子)

 

碇ヶ関地域の「符丁」

2018年2月1日

 

 「鬼」「ヘッチョ(おへそ)」「弁慶」などなど。碇ヶ関地域には、さまざまな符丁(ふちょう)があります。符丁とは、その仲間だけに通じる言葉・隠語を意味します。いわゆる「あだ名」です。昔、碇ヶ関に関所があった時代に地元の人が、通行手形を見せなくても、「あだ名」で関所を通ったためという説も伝えられています。

 

ヘッチョ仕出し店

 今から60年前。「鬼」という「あだ名」の家に、ある女性が嫁ぎました。その女性は、素直でとても美しい人だったのですが、「鬼」の家に嫁いでしまったため、「鬼の嫁」と呼ばれるようになりました。

 しかし、その家が「鬼」と呼ばれる理由があります。昔々、その家のおじいさんの体が大きく、力持ちで、何の仕事も一番であったため、「鬼」という「あだ名」が付いたそうです。「鬼」は必ずしも悪い意味ではないようです。

 

(記:市民記者 船水德生)

 

リンク

ひらかわ市民新聞

この記事への問い合わせ

生涯学習課

平川市光城2丁目30番地1(文化センター内)

電話番号:0172-44-1221

この記事をSNSでシェアする
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • Google+でシェアする
  • LINEでシェアする
  • はてなブックマークでシェアする

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

質問:このページの情報は役に立ちましたか?
質問:このページの情報は見つけやすかったですか?

ページの先頭へ

ホームへ戻る