◎小国集落の歴史

      浅瀬石川支流の小国川中流低平な地にあり、その名は小国川合に
    小部落国家をしたからであるらしい。
     この地に人が住みついたのは定かでないが、かなり古くからとのこと。
   
     室町時代、即ち永享6年(1434)、時の領主小国丹波が城内安定のた
    め、八幡宮を勧請し社殿を建立、鰐口1個を寄進したという記録がある。

     下って天和4年(1684)、庄屋弥兵衛の記録『田屋敷及諸品書上張』に
    よると、家敷12軒(うち御蔵抱屋敷9軒、水呑百姓2軒、給人屋敷1軒)、
    水田約6町1反、畑約9町6反、うるし2200本とある。

     それより約90年後、宝暦(1775)の記録によると、戸数・水田面積共に 
   変化なく、畑地がわずか2反歩増加しているのみである。
     
     次いで、明治初年の『新撰陸奥国誌』に「家数20、山中に住し、畑少しあ
    れども耕地荒くして産足らず、常に薪灰を貸して生計を資く」とある。
  
                                 ──竹舘村史──


 
  学区内にある「小国城址」の標柱・・

 標柱の背面、今は森林になっていますが、この 辺りに小国城が
あったと伝えられています。右の写真は小国城址から望む水田地帯


 
  学区内を通る用水路?  この水は何に使われるの?・・