名誉市民

2010年10月14日

園芸技術者

木村 甚彌(きむら じんや)

木村 甚彌(きむら じんや)  明治34年、旧平賀町のりんご農家に生まれた木村甚彌氏は、大正12年、国立盛岡高等農林学校を卒業、翌13年、北海道農業試験所に勤務、水稲病害を研究していましたが、昭和3年、青森県農業試験場園芸部(青森県りんご試験場)に勤務、昭和27年から45年まで18年間、場長として数多くの病害虫防除法の研究にあたりました。特にりんごのモニリア病の防除体系を確立し、北海道大学から農学博士の学位を授与されるなど、りんご栽培史に多大の功績を残しました。
昭和45年、りんご関係者により木村甚彌りんご顕彰会が発足し、翌46年より毎年りんご産業の振興に功労のあった団体、個人に対して木村甚彌賞を贈呈しています。
昭和38年に農林大臣賞を受賞、昭和50年に旭日小綬賞を受賞しています。

 

洋画家

葛西 四雄(かさい よつお)

葛西 四雄(かさい よつお)  大正14年4月29日、旧金田村に生まれた画家、葛西四雄氏は金田小学校教諭として勤務する傍ら絵を書き続け、昭和38年に本格的に画業に専念するため上京しました。それ以来、北の漁村シリーズを始め、数多くの名作を世に残しています。
第5回日展に初入賞したのをきっかけに、安井賞候補展入選、日展特選など数々の入賞を果たし、輝かしい絵画経歴を重ね、昭和61年には日本美術家連盟会員に就任しました。そして、日本画壇において、確固たる地位を占めるとともに、日本の絵画発展に大きな貢献をしています。
その一方で、郷土をこよなく愛した氏は、北の漁村、津軽農村風景などを多数描くとともに、その多くを郷土の学校や施設へ寄贈しています。
また、亡くなるまで絵画を通じ、幅広い社会福祉活動も進められ、昭和57年には紺綬褒章を受章しています。

 

作曲家

櫻田 誠一(さくらだ せいいち)

櫻田 誠一(さくらだ せいいち)   昭和10年、旧尾上町に生まれた櫻田誠一氏は、作曲界の大御所、故江口夜詩氏に師事、昭和32年に三船浩の「恋なんて捨てっちまえ」でデビューして以来、作曲家として数々のヒット曲を手掛けました。
大津美子の「銀座の蝶」、千昌夫の「望郷酒場」、北島三郎の「北の漁場」などの他、大月みやこ、青江美奈、三橋美智也ら多くのスターによる名曲を発表、数々のヒット曲を生み出してきました。
キングレコード専属作曲家となった後、一時コロムビアレコードへ移籍、そしてキングレコードへ復帰した後フリーの作曲家となり、歌謡界、作曲界の巨匠としてその地位を確立し、日本作曲家協会理事・日本音楽著作家などを歴任され、活躍されました。
また、「尾上町民歌」「尾上小唄」「平賀音頭」など、平川市に関係した曲も多く手掛けており、市民からも親しまれていました。

 

(株)日本マイクロニクス代表取締役会長

長谷川 義榮(はせがわ よしえい)

 長谷川 義榮(はせがわ よしえい) 長谷川義榮氏は昭和14年、旧平賀町に生まれ、昭和33年に航空自衛隊に入隊、通信学校に入学し電子技術について学びました。
自衛隊除隊後、測定機器を扱う株式会社ユニテックでの経験を経て、東京都目黒区にトーワ電気株式会社を設立しました。その後武蔵野市に本社を移し、株式会社日本マイクロニクスに商号を変更しました。
昭和56年に平川市新館地区に青森工場を開設。平成16年度に開設された青森松崎工場を合わせ、日本マイクロニクス社の生産額の約75%を平川市で生産しています。
また昭和60年には、平川市本町地区に「エレクトロニクス・アカデミー」を開校し、平成8年の閉校までに148名の技術者の卵を輩出しています。
これらの雇用促進や郷土発展への貢献などの功績により、平成8年に青森県褒賞を受賞しています。
また技術者として機器の開発にも類い稀な能力を発揮し、160件を超える特許を出願しており、長く国内外の電子技術産業の発展を支えてこられました。
長谷川氏の長年の電子産業界への貢献は世界的に高く評価され、平成17年には、業界における最高の栄誉であるSWTW「ライフタイムアチーブメントアワード」(アメリカ電気電子技術者協会による功労賞)を受賞しています。

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